第8話 米国生活2
師走です。「やりきり月」です。
このブログではじめ投稿をした際に連載企画を発表してから、
第1話 幼稚園~第7話 米国生活1まで書いてきましたが、
残り6話を残したまま、2011年を締めくくれません。。
前回の第7話 米国生活1に、わたしがなぜ渡米することになったのか、
どのくらいの英語能力で渡米したのかをお話しましたが、
今回もう少しDenverでの生活を具体的に書きたいと思います。
Denverと言っても「どこ?」、Coroladoと言えば「田舎でしょ?!」と連想されがちですよね。
強ち間違ってはいませんが、とてもすてきなところです!

米国中西部に位置するコロラド州(全米8番目に大きい面積)の州都デンバー市は、標高1マイル(1,600m)に位置するため、「マイル・ハイ・シティ」とも呼ばれます。
(岐阜県高山市と姉妹都市だそうです)
標高が高いため、慣れないうちにスポーツをするとすぐに疲れますし、
お酒の酔いも回りやすいようです。
コロラド州観光局ページこちらから。(英語版) こちらから。(日本語版)
わたしが初めてDenverを訪れた感想は、
「田舎だけど意外とアートに力をいれている街!雨が降らない街!」
デンバーの中心部には、わたしの大好きなスペシフィックアートがたくさんあり、
中心部から車で30分も走れば、広大な自然に恵まれています。
雨が全然降らないことでも有名です。年間300日は晴れているといわれていますし、
わたしも約1年間住んでいながら、傘を購入した覚えがありません。
そして、今思うDenverの印象は、「英語がとてもきれい!」
観光で海外へ行かれる方には、「行きたいところへ」「安全なところへ」とお勧めしますが、
語学留学を考えている方には、「きれいな英語のところへ」と必ずお伝えしています。
コロラド州デンバー市は、全米の中でも地方と都市の要素が良く合わさっている地域です。
語学学校内では、先生も学校関係者の皆さんも”正しい”英語を話してくれますし、
地域に住む大半の人たちも”きちんとした”英語を使われています。
地方には地方の良さが、都市には都市の良さがありますが、
語学の観点からみるとデンバー市は、「地方なまり」が少ない地域ですし、
さまざまな人種が住んでいる都市のわりには、「外国なまり」が少ない地域でもあります。
(あくまでもわたしの個人的経験値からの意見です。)
ではこのような閉鎖的な地域でもなく、整った環境に行けば、
誰でも語学を習得できるのかといえば、それは違うと思います。
地域や学校など環境を選んだ後は、「自分次第」です。
わたしの場合は、ありがたいことに環境面ではデンバー市(地域)と
ブリッジ・リングアテック(語学学校)と、すぐに決まりました。
語学学校の申込、ビザ申請、航空券手配などもすべて代行していただいたので、
「Hi」「Yes」「No」の言葉と身ひとつで新しい環境へと飛び込みました。
語学学校1日目の出来事:
・英語習熟度「ミシガンテスト」受ける→36/100
(結果36点ですが、説明も問題も答えも英語ですから、ほぼ”勘”だけで答えた結果です)
・面接→何も答えられない。
第7話で書きましたが、私の渡米理由は、
「ビジネスとしてのファッションをきちんと学ぶための渡米!」でしたので、
まずは語学学校第1日目の面接で、「なぜ英語を学びたいのか」という質問に対して、
理由を伝えなければなりませんでした。
しかし、英語能力0のわたしにとっては、ゆっくりきちんとした英語で話されていても、
何の質問をされているのかさえわかりませんでしたから答えようがありませんでした。
とりあえず何か言わなければと「Go to university, study fashion business」と
言った記憶がありますが、「University」「Fashion」の発音などメチャメチャでしたから、
伝わるわけもありません。。 第7話の「coffee」と「こーひー」と理由は同じです。
さて、日本での受験英語の知識もなく、まったく英語に興味のなかったわたしが、
ここからどのようにして、大学進学までこぎつけたのか。
目的: 米国の大学でファッションビジネスを学ぶ。
目標: 大学進学に必要な英語力を身につける。
手段: 米国で生活するための日常会話を特訓する。
大学進学のためのTOEFL550点(CBT213)を突破する。
NYCやLAなど米国の大都市でない限り日本人の数はぐんと減りますから、
「日本人が少ない環境の方が英語を学びやすい」ことは間違いではありません。
日本人が多く住む地域と比べれば、少ない地域の方が、
英語を話す機会が”増えるかも”しれません。
”増えるかも”と書いた理由には、これからわたしがDenverでの語学学校生活と
NYでの大学生活の中で、経験し感じたことがいくつかありますので、
必ずしも「日本人が少ない=英語を話す機会が増える=英語力が伸びる」とは
断定調では書きません。
Denverでの語学学校の話に戻しますと、
まずは『校内では「英語」しか話してはいけない』という語学学校のルールがありましたが、
比較的日本人の少なかったこの環境でも、日本人同士となれば日本語で話していました。
このような状況は、学校側でも先生によって賛否両論でしたが、
いろいろな国の生徒が集まれば、カタコトでも「英語」を話さないといけませんから、
そこまで問題視されることもありませんでした。
それよりも重要視されたことは、「英和辞典禁止令」でした。
こちらもよく驚かれることですが、まったく英語のできなかったにもかかわらず、
渡米する際に「英和辞典」さえ準備せずに海を渡りました。
(いま思えば、何を考えていたのだろうと自分のことですが怖くもあります)
学校には、南米から、アジアから、アフリカから、ヨーロッパからなど、
世界各国からいろいろな年代の人たちが集まっていましたが、
「英○辞書」として英語+母国語の辞書を
登校初日には持参してくる方が数多くいました。
学校内では、母国語を話すことよりも、「英○辞書使用禁止」の方が厳しかったのです。
「ほら、この英○辞書ではこの単語の意味はこう書いてある」
「母国語で言うこの単語は、英語では○○と言うと辞書に書いてある」などど、
いつも母国語→英語、英語→母国語で考えてしまうことで、
いつまで経っても「英語→英語、英語←英語」の頭が身につかないとされたのです。
唯一許可されていた「英英辞書」は、本当に役に立ちましたし、勉強にもなりました。
ある単語の意味がわからず辞書を引く、説明文の中にわからない単語がでてくるので、
また辞書を引くといった繰り返しが続くのです。
「またこの単語か!」と以前辞書で意味を調べた単語を
何度も繰り返し辞書を引かなければならない自分が、悔しい時もありました。。
また、「語学」というのは「生きている」ものですから、
先生や仲間に質問したり、使い方を教えてもらいながら「生きた英語」を学ぶ生活でもありました。
「学びたい人には、とことん付き合ってくれる学校」で、
「今日はこれを教えてもらおう!」と日常生活に必要な英語を学ぶ楽しさを味わいながら、
毎日英語にどっぷり浸る(時々日本語)環境でしたが、
その一方で、「なぜここまで。。」と
大学進学に必要な英語を学ぶ苦しさも感じ始める時がきました。
実際に大学へ行くまで、時にはやさしく、時には厳しく、
いつも親身になってくれた先生でもあり、
今も友人として、変わらずお付き合いできる人たちのおかげです。
次回第9話で、この続きを書きたいと思います。
米国生活2で嬉しかったこと:
レンタカーを借りて、中長距離の旅をいろいろ経験できたこと。
米国の行事・スポーツにもどっぷりはまったこと。
感謝。













